会社がつまらない、早く変える時間が来ないかなと思って毎日を過ごしている方へ。
現在30代の自分はアルバイトや会社を計17回転職してます。
一般的にくずです。
ただ、今の会社に入社から4年ですが、3つの職種を飽きずに楽しみながらやっています。
なぜ、飽きずに今の仕事ができているか。
自分の過去の経歴紹介と楽しむために大切にしているものをつづってみます。
30代で過去の転職は10回以上!!
アルバイトを含め何をしてきたか自分の人生の振り返りもかねて書いてみます。
・コンビニ2回
・コールセンター3回(蟹販売・携帯のサポートセンター・衛星放送サポートセンター)
・美装
・コンサート設営スタッフ
・ガソリンスタンド
・交通量整理
・飲食店2回(キッチン・ホール)
・パソコン出張修理
・大工
・家電量販店販売員2回(プリンター販売・インターネット回線販売)
・楽器講師
・広告代理店
なぜ、こんな仕事を変えたのか?
いつか自分のやりたい仕事が見つかるだろうと思い、探し続けた結果20代後半で17回仕事を変えました。
ちなみに契約社員や正社員の転職は4回です。
さらに、こんな風になったのにはもう1つ理由があります。
26歳までバンド活動メインに生活していて、
その活動費用の為に仕事をしていたというのが理由です。
26歳でバンド解散。正社員経験ゼロ。
周りの友人より社会人経験が4~5年遅れています。
一般的に見たらかなりやばい奴ですよね。笑
そんな自分がバンド解散後どうしたのか。
契約社員の時に学んだパソコンの知識があったのでパソコン修理の求人を見つけてふらっと応募したら、たまたま受かったんです。笑
まぁビギナーズラックだと思ってます。笑
入社半年で何故か新人研修を任せられる
横浜と北海道に会社があるパソコン修理の会社に入り、新人研修期間1カ月で1人立ちさせられます。(ブラック寄りのグレー。笑)
そして簡単な作業から徐々に難しい作業も慣れ始めた6か月目のこと。
自分を教えてくれた上司が他の仕事で離れないといけないから何故か新人研修を任せられるという謎の異常事態発生!
テンパりましたが、ここで楽器講師をしていた経験が活きました。
資料など何もなかったので何から教えたら覚えやすいか、手順などを整理して資料を作成し、なんとか1か月半で教えきりました。
そして1年が経つ頃、社長から唐突な一言。
社長「○○(自分)さー大阪好きだったよな?笑」
(これは「大阪に新事業部を作るから行って来い!」との命令です。)
自分「おいおいおい、俺まだ入社1年の新人なんですけど」ってのが正直な感想。
でも淡々と作業するのも飽きてきたし、経験積めそうだから行ってもいいかと思い
自分「好きじゃないけど好きですよ」とOKを出しました。笑
感覚おかしいので普通の感覚の方だったらここで辞めてるかもしれませんね。笑
雪のない初のクリスマス違和感半端ない
そして9月に大阪に行き、土地勘もない中、求人で集めた新人を同行させながらパソコン修理の日々が始まります。
全員年上で自分の親くらいの人ばかり。少し頑固でいなすのにいい勉強になりました。笑
そして迎えた12月のクリスマス。もちろん大阪に雪はありません。
雪国育ちの自分は雪がない中にあるクリスマスツリーに半端ない違和感を覚えました。
そして年が明け、新人が育ちそろそろ戻っていいですか?と社長に聞きました。
社長「○○さー、横浜も好きだろ?」
自分「はい?笑」
社長「全国的に作業品質統一したいから、行って埼玉の人とすりあわせてほしい!」
自分「あーなるほど、了解ですー。笑」
と急遽、自分の横浜行きが決定!!
現場に来て初めて分かった無駄にかかる移動時間
出張修理の横浜のアポイントは北海道の本社で行っており、日ごろから移動時間がすごいかかってると問題視されていた。
実際に横浜に入り、現場を回ってみると問題視されていた移動時間は避けれない事でした。
北海道では起こらない渋滞が毎日起きているんですもん。笑
百聞は一見にしかずですね。
これは防ぎようのない問題なので、エリア分けをしてうまく効率的に修理に回れるようにするしか方法がありませんでしたね。
そんなこんなで色々横浜のスタッフさん達とやり方をすり合わせ意見交換をしながら3か月ほど滞在しました。
給料が上がらない現実が待っていた
各拠点を回り北海道に戻ってきて半年頃にわかったのだが、このまま続けても給料が上がらないことがわかった。
何故なら、そもそものパソコン修理の1人工の設定料金が安く1日に回れる件数も限られているので給料も天井があるという状態だった。
そこで自分はずっとこのままパソコン修理の仕事を続けたいか考えた挙句2年お世話になった会社の退職を決めました。
そして3か月くらいニートをしながら、次にやる職業はスキルが磨けて、いずれ一人でも仕事ができるようになるものと決めました。